ーー始発ーー
始発に乗ることなんて滅多にないよなと思いながら僕は電車に乗り込む。
「終電の反対は何で始電じゃないんだろう?」
と考えても仕方ないことを考えてしまうのは僕の短所だ。
卒業論文を無事に提出できた僕は友達とカラオケでお祝いした。
カラオケでオールなんてするもんじゃないよ、本当に。
最後の方はみんなほとんど寝てるし、ロクに声も出ない。
あぁ、マキシマムザホルモンなんて調子に乗って歌うんじゃなかった。
しばらく喉の痛みが続くだろうな。
外はまだ真っ暗だし何より寒い。早く家に帰って温もりたい。
こんな時間でも僕以外に何人かの乗客がいる。
みんな僕と同じように朝帰りだろうか。
いや、中にはスーツを着た男性もいる。
まさか毎日この時間の電車に乗って通勤しているのか?と考えるとゾッとした。
ただでさえ寒いんだからこれ以上ゾッとさせないでくれ。
今日もこの電車は老若男女、色んな人の感情を、思惑を、期待を、憂鬱を乗せて終電まで走り続けるんだろうなぁ。
そんなことを考えている間に乗り換え駅に着いた。
ラッキーなことにちょうど急行電車が来てくれた。
僕は急いで乗り込む。
とりあえず家に帰ったらコタツで寝よう。
ーー喜び駅ーー
学園マンガに出てくる登場人物はだいたいみんな徒歩通学してやがる。
ふざけんな。そんな近いところに高校はねぇよ。と嫉妬する。
たまに高校のすぐ近くに住んでいる人がいるが、そういう人はたいていその最寄りの高校には行かず、遠くの高校に電車で通う。なぜか知らないけどそうなっている。
それが現実ってやつだ。
電車通学は電車通学で、同級生と電車での時間を共有するのも悪くない。
限られた時間、限られた空間の中でいつものメンバーでくだらない話をするのはさぞ楽しいだろう。
しかし僕はというと、同じ方面に電車で帰る友達がおらず、いつも一人で通学している。
決して友達がいないわけではない。登下校友達がいないだけだ。
そんな僕が通学の電車での時間をどう過ごしているかというと、ほとんどを寝て過ごしている。
行きはまだ良いが、帰りは眠くてたまらない。
1日に6時間も勉強すれば眠くなるに決まってる。
一緒に帰る友人もいないので、気兼ねなく電車の中で座りながら寝ることができる。
自分でも不思議なくらい爆睡できる。
寝てる間にカバンから財布を盗まれても多分気付かないくらい爆睡している。
でも今まで一度も盗まれたことはない。
この国は平和だ。
さらに不思議なことに、いつも目的地に着く直前に自然と目が覚める。
アラーム設定しているわけではないし、常に気を張っているわけでもない。
ぐっすり眠っているのに、パッと目が覚めてくれる。
この能力のおかげで僕の通学ライフは超快適だ。
これは僕だけなのだろうか。登下校友達がいないから確かめようがない。
僕は自分自身のこのありがたい能力に”メガドレイン”という名前を付けた。
”トレイン”で、”目が”パッと覚めるからメガドレインってわけだ。
我ながらセンスが良い。
”ギガドレイン”には劣るけど初代ポケモンではけっこうお気に入りのワザだった。ジムリーダーのエリカ様がくれたんだから大事にしないとね。
でもたまにこの”メガドレイン”が発動しない時がある。
いつもより疲れているからなのか、眠りが深いからなのか、敵がほのおタイプだからなのかはわからない。
でも、そんな時は決まってバイトが休みの日だったり、予定が無い日だったりする。
「良かった。寝過ごしちゃったけど、バイトの日じゃなくて。」
と僕は胸をなでおろす。
外を見渡すと、家とは反対方向に電車が向かっている。
「たまには寄り道して帰るか」
そういえばBUMPのニューアルバムが発売されたことを思い出した僕はいつもと違う駅の改札をくぐった。
ーー怒り駅ーー
さっきからヤンチャな男子高校生集団が電車の中で騒いでいる。
何やらギアセカンドがどうだと盛り上がっている。
「はいはい、ワンピースね。お前らどうせ薄い知識で盛り上がってるんだろ?オレのワンピース知識に勝てんのかよ?」
と、脳内でくだらないマウントを取る僕。
「うるせーな!公共の場なんだからマナーを守れよ!」
と言う人は誰もおらず、皆我関せずと素知らぬフリをしている。
僕もそのうちの一人なんだけど、問題はそいつらが僕のすぐ近くでたむろしていることだ。
おとなしくマジメな高校生の僕は、こういう人たちが苦手だ。
なんとか絡まれないようにしなければならない。
こういう"あくタイプ"のやつらには"かくとうタイプ"が強いんだけど、僕は強いていうなら"エスパータイプ"だ。
あくタイプには成す術がない。
こいつらに巻き込まれまいと僕は出入り口の前に立ち、窓側を向いてMDポータブルプレーヤーでモンパチを流して外からの音声をシャットアウトする。
もしこいつらに何か言われても、聞こえてなければ反応する必要もない。
これで後は目的地に着くまで外の風景を眺めておけばいいだけだ。
大丈夫。心配することなんてない。
DON'T WORRY, BE HAPPYだ。
しかし、さっきから何やら雲行きが怪しい。
電車が止まって僕と反対側のドアが開く度に車内の人が増えていき、ヤンキー集団と僕との距離がさっきよりかなり近づいてきている。
というか、既に僕の背中に何か当たってる。
これは明らかにヤンキーが背中で僕を押し付けている。
おいおい、勘弁してくれよ。僕はただ家に帰りたいだけなんだよ。
トラブルはごめんだし、こんなに人が多いところでこいつらにカツアゲでもされようもんなら恥ずかしくて今後電車に乗れないよ。
何が「あなたにとって大事な人ほどすぐそばにいる」だよ。すぐそばにいるのはヤンキーだよ。
とモンパチに八つ当たりしてみたところで事態は変わらない。
かといって今はまだ背中で背中を圧迫されているだけだ。
たいした危害を与えられたわけでもない。
それに、故意ではないのかもしれない。
そう思うことでひたすらやり過ごそうと思った。
しかしそうしているうちにどんどん背中への圧力は強くなっていく。
これはもうわざとだ。僕がおとなしくしてるのをいいことに僕の背中にもたれかかっている。
仲間のヤンキーたちの嘲笑のような声が聞こえる気がする。
「こいつ、とんだ根性なしだぜ」
とでも言っているのだろうか。
クソ、悔しい。でも多勢に無勢だ。
ギアセカンドが使えたらなあ…と空しい妄想をしてみる。
残念ながら知識では勝てるが腕力では勝てない。
考えているとだんだん腹が立ってきた。
何でこんなやつらにこんな屈辱を受けなくちゃいけないんだ。
っていうかよく考えたらこいつら背中で押すことしかできないのか?
しょぼくね??
と思った僕は勇気を持って背中に力を入れて押し返した。
すると相手は突然の反撃に少し戸惑ったあと、再び背中で圧迫してきた。
あれ?こいつマジでこれしかしてこないぞ??
僕は背中で再び押し返す。相手もやり返す。
傍から見たら仲良くおしくらまんじゅうでもしているような異様な光景はその後もしばらく続いた。
こいつもしかして僕と仲良くなりたいだけなのか?
と一瞬錯覚したが、こちとらそんな気はない。マナーを守らないやつは嫌いだよ。
おしくらまんじゅうはふいに終わりを告げた。
目的地に着き、僕側のドアが開いた。
駅に着いた僕は最後までヤンキーの方を見ることなく足早に電車を降りた。
なんだかあいつらにビビッていた自分がバカらしく思えた。
”人に厳しくされた時自分の大きさを知りました”
こんな替え歌を口ずさみながら家路についた。
ーー哀しみ駅ーー
電車は異様な空間だ。
優に50人はいるであろう同じ場所で、皆それぞれ別のことをしている。
ゲームをする人・新聞を読む人・漫画を読む人・ケータイをいじる人。
せっかく縁あって同じ時間・同じ空間に居合わせたのだから、感情の一つも共有したい。
銀魂を読んでいる人がいたら、「銀魂良いよね!」と声をかけてみたい。
隣の学生のイヤホンから銀杏BOYZの声が漏れ聞こえたら、「銀杏良いよね!」って話しかけてみたい。
そこから友情が芽生えたりするんじゃないだろうか。
しかしそういう行為は世間一般的には”迷惑行為”と位置付けられている。
みんな自分のパーソナルスペースを冒されたくないからだ。
もちろん僕だってパーソナルスペースを冒されたくない時はある。
でも、「今なら大丈夫だよ」っていう時もある。
だから他の人も僕と同じようにパーソナルスペースを開放しているタイミングがあるんじゃないかと思っているんだけど、それはあくまで僕の推測にすぎない。
僕の勝手な解釈で他人のパーソナルスペースを侵略するほど無神経な人間じゃないから、今日も僕は無機質な電車にただ揺られている。
例えば車内で僕が
「おっぱっぴー!」
とか急に言ったらどうなるんだろうか。
全員無視するんだろうか。
いや、50人もいれば何人かは笑ってくれると信じたい。だっておっぱっぴーだよ?
もしおっぱっぴーが不発でも、「ラスタラスタピーヤァ!」って言えばさすがに誰か笑ってくれると信じたい。さもなければ、太平洋に平和はない。Ocean Pacific Peace、略しておっぱっぴーだ。
要するに電車ってのは無関心の集まりなんだよ。
みんな自分のことに夢中で、人に関心を持つことが悪みたいな雰囲気がある。
もっと人に関心を持ったって良いじゃん。
僕が特にそう思ったきっかけがあって、大学の帰りに駅について電車から降りて構内を歩いてたんだよ。
そしたら前方の車両で寝てる人を発見した。
僕の最寄り駅は終着駅だから、ここで降りない人は確実に寝過ごしている人だ。
同じ車両に乗ってた人は誰もこの人を起こしてあげなかったのか?
と思いつつも、外からただ見てる僕も同じだ。起こしてあげたいなら自分が起こせばいい。
でも、もしかしたらこの人は今この電車に乗り込んだ人かもしれない。
だとしたらわざわざ声をかけるのは迷惑かもしれない。
と考えてる間に僕は結局改札を出てしまった。
そして家に帰ってから後悔した。
ああ、あの人はもしかしたら寝過ごしてしまったせいで人生の大事な分岐点で失敗してしまったのかもしれない。
気になったのなら声をかけて起こしてあげればよかった。
それ以来僕は終着駅で寝ている人に声をかけるようになった。
最初はすごく勇気が必要だったけど、慣れてしまえばなんてことなかった。
「着いたのはわかってるけどあえて寝てるんだよ!」
なんて怒る人は一人もいない。
やっぱり終着駅で寝てる人は100%寝過ごしている人だ。
でも、起こした人はみんな起きた瞬間にプチパニックになるんだよね。
「え??ここどこ??」「今何時??」
って感じで。
だからみんな僕には目もくれず慌てて走って行っちゃうんだよ。
いやまぁ、見返りが欲しくてやってるんじゃないから別にいいんだけど、でもちょっと寂しいよね。
あーあ、今日のバイトはなんだかめんどくさい。
ーー楽しみ駅ーー
車を買ってからというもの、電車に乗る機会がめっきり減った。
そのためか、たまに乗る電車はとても楽しい。
電車には様々な発見があるからだ。
景色・人・広告。どこを見ても家にいては見れないものばかりだ。
車内の独特の雰囲気がたまらない。
誰もが違った目的で、違った行き先へと向かう。
車内にたち込めた奇妙な緊張感は最大限にまで膨れ上がり、ひとたび誰かが穴を開ければ簡単に破裂してしまいそうだ。
誰かが「おっぱっぴー!」とでも言おうものなら、私は耐えきれず吹き出してしまうに違いない。
さて、久しぶりに乗った電車は少し騒々しい。
すぐ近くでヤンチャな高校生たちがギアだのセカンドだのと騒いでいる。
バイクにハマっているのだろうか。
バイクを趣味にするのはいいが、公共の場で大声で騒ぐのは褒められたことではない。大空の下でツーリングを健全に楽しめばいいのに。
電車が駅に着く度に乗客が増えてくる。
私はだいぶ端っこの方に追いやられてしまった。
ふとさっきの高校生たちに目を向けると、何やら大人しくて真面目そうな高校生を背中で窓側に押し付けている。
大人しい少年はイヤホンを耳に当て、素知らぬフリをしている。
地味な嫌がらせだが、少年のストレスはいかばかりだろう。
かといって大人の私が口を出すほどのことでもない。
どうしたものかと眺めていると、大人しい少年がわずかに抵抗しだした。
それに対抗してヤンチャな少年も押し返す。
さらにやり返す大人しい少年。
なんだなんだ。おしくらまんじゅうでもしているのか。
と思わず笑いそうになったが、本人たちはプライドをかけた闘いを繰り広げていた。
最終的に大人しい少年の側のドアが開き、彼はそそくさと降りていった。
彼の清々しい表情を私は見逃さなかった。
さて、私も降りようかと思っていると、到着アナウンスに気づかずに気持ち良さそうに寝ている男子高校生を発見した。
カバンから財布を盗まれても絶対に気付きそうにない。
それくらい熟睡している。
ここは終着駅なのでこのままだと電車は引き返してしまう。
男子高校生を起こそうか起こすまいかと考えていると、大学生くらいの青年が現れて、彼に声をかけて起こした。
起こされた男子高校生は、自分だけは絶対に寝過ごすわけがないとでも思っていたのだろうか。
信じられないというような表情をして焦って礼も言わずに急いで電車を降りていった。
大学生の彼は少し寂しそうな顔をして、電車を降りていった。
電車から降りた男子高校生がふと立ち止まり、大学生の方を振り返り一礼をしてから走っていったことに私だけが気づいていた。
ーー終電ーー
終電に乗るのなんて久しぶりだ。
大学を卒業して以来初めてじゃないか?
学生時代の友人と久しぶりに遊んだ帰りに、慣れ親しんだ路線を懐かしく感じながら終電に乗り込んだ。
こんな時間だってのにやけに人が多い。そうか、世間はゴールデンウィークか。
僕の職場には関係ない言葉だ。
さすがにゴールデンウィークだけあって、酔っ払いが多い。
みんな浮かれてだらしない顔をしている。
とか言ってる僕も周りから見たら赤い顔でだらしない顔をしてるんだろうか。
今日は久しぶりに楽しかったんだから、そりゃだらしない顔にもなるわな。
と誰にするでもない言い訳をする。
こんなに酔っ払っていても、きちんと乗り換え駅で降りられる自分の帰巣本能に感謝する。
この酔っ払いだらけの集団の中で、何人が無事に家に帰り何人が駅員さんのお世話になるんだろうか。
考えても仕方ないことを考えてしまうのは僕の短所であり長所でもある。
乗り換え駅の階段を上ると、丁度電車が来ていた。
急行電車と各駅停車。どちらに乗っても家には帰れる。
立ち止まってどちらに乗ろうか少し考えたけど、僕は各駅停車に乗ることにした。
なんだか今日はゆっくり家に帰りたい気分だ。
寝ちゃいけないからRADでも聴きながら帰ろう。
そして僕はゆっくりと歩きだした。
各駅停車のように、一歩ずつ、着実に。
ーー終着ーー