
『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』を観てきました。
無限列車編に続き、今回も映像が本当に綺麗で終始惹きつけられました。
今作は大きく分けて
①上弦の弐・童磨vs胡蝶しのぶ
②上弦の陸・獪岳vs我妻善逸
③上弦の参・猗窩座vs竈門炭治郎&冨岡義勇
の3つの戦いに綺麗にまとめられており、その合間でそれぞれのキャラクターの過去や生い立ちが深掘りされるというストーリーになっています。
私は原作を一度履修しただけだったので、大まかなストーリーは把握しつつも新鮮な気持ちで鑑賞することができました。
ざっくりと感想を書いていきます。
①上弦の弐・童磨vs胡蝶しのぶ
しのぶさんの戦闘シーンはほぼ初見のような気がするんですが、那田蜘蛛山の時にあったんでしたっけ?
童磨がしのぶの姉カナエの仇敵であることや、「私ずっと怒ってるんです」の本意が明らかになります。
これまで上弦とは鬼殺隊の柱+炭治郎のタッグで対峙していたのに対し、しのぶ一人で上限のしかも弐との対戦は流石に分が悪いんじゃないかという予想を覆し、お得意の毒を使って善戦するしのぶ。
しかしすぐに毒を分解してしまう童磨。
何度攻撃を喰らっても回復する鬼に対して、一度の攻撃が致命傷になってしまう人間。
改めてハンデがデカすぎるだろと思うと同時に、それでも立ち向かえる鬼殺隊の意志の強さと覚悟に感服します。
漫画でよくあるピンチで誰かが助けに来る展開かと思いきや、最後まで一人で戦い遂には童磨に取り込まれてしまうしのぶ。いやぁ、なかなかの衝撃場面ですよね…。
そして後一歩間に合わず師範を助けられずに到着したカナヲ。
あの無表情だったカナヲの激怒の表情から、どれだけしのぶを慕っていたのかが窺えます。
童磨は人間の頃の記憶がある珍しい鬼で、元々狂っているというかサイコパスなヤツなので、正直敵としては魅力的ではあるんですよね。戦闘狂の一面もあるし、敵を讃えることもできるし、やられたらやられたでその運命を受け入れられそうなところとか、私は嫌いではありません。技もオシャレだしね。ただもちろん割と初期キャラのしのぶさんがここでやられてしまうのは残念…。
②上弦の陸・獪岳vs我妻善逸
原作で読んだ時は「このエピソード、要る??」と思っていたのですが、正直今もその気持ちはあまり変わっていません。
こういうことを書くと善逸ファンに怒られてしまうかもしれませんが、このエピソードの影響で少しストーリー全体が冗長になってしまった気がします。
そもそも上弦の補充とかをやり出すと、永遠に続いちゃうじゃん!って思っちゃうんですよね。原作を読んでた時も、「え、これ上弦の肆とか伍も新たに出てくるの??」と思いました。
実際、90年代のジャンプで連載していたらその可能性はかなり高かったでしょう。
ですがそれはそれとして、獪岳の敵としてのキャラもなかなか魅力的ではあります。
善逸は獪岳を嫌いながらもその実力を認め、憧れを抱いていました。
「自分を評価し認める者は善、認めない者は悪」という清々しいまでの判断基準を持ち合わせており、まさに文字通り承認欲求の鬼(うまい)とも言える彼の姿には人間臭さ
を感じました。
最後のじいちゃんと善逸のシーンも良かったですし、私は決して善逸アンチではないのでご了承ください。
③上弦の参・猗窩座vs竈門炭治郎&冨岡義勇
この映画のクライマックス、目玉とも言えるvs猗窩座戦。
私は猗窩座戦…というより、猗窩座の過去編を観るために映画館へ行ったといっても過言ではないので、ここに至るまでが少し長く感じてしまいました。
戦闘描写はさすが!猗窩座の技もかっこいいし、義勇の水の呼吸のエフェクトもかっこいい!
初めて遭遇した柱である義勇が、この最終局面にきて全く株を落とすことなく炭治郎より上の実力者なのがいいですよね。
バトル漫画では序盤に出てきた味方キャラはどんどん戦いについてこれなくなるのがテンプレなのに。
この辺のバランスがいいんですよねぇ鬼滅は。一番ゴツい悲鳴嶼が一番強いのとかも。
炭治郎も義勇もお互いに足を引っ張ることなくどちらかがどちらかを助け合う熱い共闘。
水と日の呼吸の対比の美しさも映画ならでは。
そしていよいよ戦いが終わろうとする時、猗窩座の記憶が呼び起こされる…。
繰り返し言っていた「弱者は嫌いだ」の言葉の真意が初めてわかります。この発言はかつての最愛の人を毒殺した奴らに向けて、そして最愛の人を守れなかった自分自身に向けられた言葉でした。
人間時代の狛治(猗窩座)の回想は本当に屈指のエピソードだと思います。
もう、早く私を泣かせてくれぇと、いつでも泣く準備は万端でした。
本人の意思とは裏腹に首を切られても再生しようとする鬼の体。
しかし最後は自分自身を攻撃し、自らその長い長い生命の終わりを迎えた猗窩座。
前回の映画・無限列車編で憎き敵として現れた猗窩座が、次作となるこの映画で炭治郎たちに倒されるというのはすごく綺麗な終わり方でした。無限列車編の大ヒットのおかげで猗窩座の知名度はかなり高いですからね。
映画しか観ていない人もかなりいるでしょうから、煉獄さん以外の柱たちよりもその知名度は高いのではないでしょうか。
生い立ちや場面転換が少し多い?上映時間が長い?
私個人的には観たかった猗窩座の過去編が大スクリーンで観られたので非常に満足だったのですが、劇場を出る時に若い女性の「生い立ち長かったね」という会話が聞こえてきました。
「え!あれが良いんじゃないか!」と心の中で思ったのですが、よく考えるとあの会話は猗窩座の生い立ちのことだけを指したのではなく、「全体を通して回想シーンが多かった」という意味だったのではと思いました。
しのぶとカナエの過去、童磨の過去、獪岳の過去、善逸と師匠との思い出、炭治郎と父親との記憶、猗窩座の過去…とそれぞれの戦いの中でそれぞれの生い立ちや過去が出てくるので確かに「生い立ちが長かった」という感想は否定できません。
ですが、それぞれのキャラクターのバックボーン、信念となる土台的なものは鬼滅の刃という作品がとても大事にしているところでもあり、だからこそこれだけ多くの人の心を打ってきたわけですから、省略できるものではないかと思います。
強いていうならこの映画自体が約2時間半あるので、普段2時間の映画に慣れている人にとっては映画自体が長く感じてしまうでしょうし、昨今のショートムービー全盛期の若者にとってはより一層体感時間が長かったのかもしれません。
以前はDVDに収まりやすいよう2時間が上限の映画がほとんどでしたが、DVDが廃れつつあり、配信がメインとなってきた昨今、映画制作側は上限を気にせず作りたいものを詰め込めるようになりました。
それがここ最近の「長時間映画ブーム」の理由でもありますが、これからしばらくこの傾向は続くのではないでしょうか。
もちろん長い時間観客を惹きつけるだけの魅力が作品にないといけませんが、鬼滅の刃は十分に観客を惹きつけるだけの魅力がある作品です。
これから第二章、第三章と続きますが、これらも2時間超えの大作となることが予想されます。
まとめ
いかがだったでしょうか?
鬼滅の刃が完結したのはかれこれ数年前になりますが、今もこうしてリアルタイムで鬼滅の熱狂を目の当たりにできるのは一ファンとしてとても嬉しい限りです。
第二章、第三章に向けて今後もますます盛り上がっていくことを祈念してこの記事を終えたいと思います。
次は
最後まで読んでいただきありがとうございます(^ ^)