2021年公開の映画「花束みたいな恋をした」を2025年の今、初めて視聴しました。
本当に今さらですが、思いの外感銘を受けたので感想を書いていきたいと思います。
あらすじ
東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った
山音 麦 (菅田将暉)と八谷 絹 (有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。公式サイトより引用
この映画をざっくり言うと、「サブカルを極めすぎた男女の出会いから別れ」です。
趣味が同じ過ぎたがゆえに付き合い、環境の変化と共に価値観が変わっていき、別れるという大雑把に言えばそれだけ。ただそれだけ。
それなのに惹きつけられるこの魅力はなんだろう?
映像美?演技力?有村架純が可愛すぎるから??
映画を観終わってからというもの、この映画のことばかり考えてしまっています。
一言で言えば「エモい」という表現が実にしっくりきてしまうのですが、2時間の映画をそれだけの感想でまとめてしまうのはあまりにも失礼です。
まとまりのない文章になってしまうかもしれませんが、私がこの映画を観て感じたことを連ねていきます。
SNSでマウントとりそうな二人
私が主人公二人に対して思ったことは「リアルに存在したらSNSでマウント取りそう」です。新規ファンやミーハーなファンに厳しそう。
こういう、「自分達の信じるセンス以外認めない層」っていますよね。
冒頭で相席したサラリーマンの好きな映画が「ショーシャンクの空に」と聞いた時の二人の嫌な反応。
映画何観るの?と聞かれて「ショーシャンクの空に」と答える行為は
漫画何読むの?と聞かれて「ONE PIECE」と答えるようなものだと私は思っています。
「にわかじゃん」「ミーハーじゃん」
と思う気持ちは十分わかります。
ですが個人的には「ショーシャンクの空に」を観たことある人は立派な「映画好き」だと思います。
職場や学校、身の回りに「ショーシャンクの空に」を観たことがある人って何人くらいいますかね?おそらく半分も観ていない。いや、もっと少数でしょう。
「ショーシャンクの空に」だけじゃない、この映画に登場するいわゆる「メインカルチャー」のものをこの二人はことごとく嫌悪しているんですよね。
Greeeen、セカオワ、ワンオク、パズドラetc…
メジャーなものを避けてニッチなものを好めば好むほど「自分がイケてる」と勘違いしてしまいがちですが、メインカルチャーがあってこそのサブカルチャーです。
いわゆる「普通」を嫌悪するあまり、普通が蔓延するこの世の中において二人は息苦しさを感じてしまっていたんですよね。
そのギャップを仕方なく埋めるために変わってしまった麦くんと、そんな世の中でも自分を貫きたかった絹ちゃん。
かといって「そんな世の中が悪いよね」という安易な結論に落ち着かせなかったのはこの映画が評価されている所以なのかと思います。
どっちも悪くないよね、色んな考え方があるよね、という捉え方を視聴者にさせることで多様性の時代に上手くマッチさせることに成功しています。
ちなみに私はショーシャンクもONE PIECEも好きです。
もっと楽な仕事しながら趣味楽しめば良くね?
この手の「仕事によって追い詰められる系」の物語を観る度に思うのですが、
もっと楽な仕事あるくね??
絹ちゃんとの現状維持が人生最大の目標なんだよね??
じゃあもうちょっと早めに帰れる仕事探せば良くね??
仕事にやりがい求めてたり出世してたくさん稼ぎたいとかなら話は別ですが、そういうわけではないし、しかもイラストも描きたいって言ってたじゃん。なんでそんなしんどそうな仕事選ぶのさ!
って思ってました。
しまいには「人脈」という言葉を使い出し、好きだった作家の本には目もくれず、ビジネス書ばかり読んでしまう始末。
「人生は責任」とか後輩に言って、なめた態度取られた時にキレそうになるシーンとかかなり切なくなりましたね。
多くの人は「こっち側」
これでもかというくらいサブカル要素が詰め込まれたこの映画ですが、私は知らない単語ばかりでポカンとしていました。
きのこ帝国も押井守も今村夏子のピクニックも知りませんでした。
これらのサブカルに興味がない・知識がない人たちを主人公二人は内心バカにしていたようですが、世の中の多くの人はカラオケでGreeeenやセカオワを歌い、空き時間にはパズドラをして、サラリーマンはビジネス書を読んでいると思います。
世の中の多くの人は天竺鼠のライブチケットを買いません。(笑)
そんな「こっち側」の人たちにもこの映画が受け入れられているのは、おそらく菅田将暉と有村架純が「こっち側」だからです。
二人の好きな物がという話ではなく、カルチャーとしてこの二人の俳優がどちらに属するかといえば大衆文化であると思うのです。
こっち側(メインカルチャー)の二人があっち側(サブカルチャー)の話を永遠としているというのが、この映画のおかしなところであり、こっち側とあっち側の両方の人たちに受け入れられている理由ではないでしょうか。
ここではあえて「こっち側」「あっち側」と言う表現をしましたが、人間は誰しも二面性を備えています。
メインカルチャーを愛しつつも、サブカルチャーも愛しているし、時にはメインカルチャーに辟易する時もあります。
ONE PIECEについて語りたい時もあれば、ONE PIECE好きって言いたくない時もある。
みんなと話題を共有したい時もあれば、一人だけの世界にいたい時もある。
みんなと足並み揃えたい時もあれば、みんなと一緒はイヤな時もある。
そうした二面性を視聴者は「これって自分のことじゃん」みたいに錯覚してしまうんですよね。公式サイトのあらすじに
──これはきっと、私たちの物語。
ってあるのは正にそう。ある種のバーナム効果みたいなものが働いているのではないでしょうか。だからこそ多くの人の心にこの映画が響いたのでしょう。
終わりにー新時代の必修映画ー
いかがだったでしょうか。
そもそもこの映画を今更になって観ようと思ったのは、youtubeのショート動画が流れてきて気になったこともありますが、お笑いやその他いろんな作品を嗜む上で避けて通れないモノになってきているからなんですよね。
この手の恋愛映画は「どうせどっちかが病気になったり記憶がなくなったりするんでしょ?」と思って手をつけていなかったのですが(実際はそうではありませんでしたが)、あまりにもいろんな作品で「花束みたいな恋をした」が登場してくるんです。
この映画を観ておかないと十分に堪能できないコンテンツが増えてきたんですよね。
「〜を観ないなんて人生半分損してる」という表現は好きではないですが、映画や小説、お笑いといった文化を嗜む人にとって、観ておいて損はない映画だと思います。
まさに新時代の必修映画と言えるのではないでしょうか。
未視聴の方はぜひ!
最後まで読んでいただきありがとうございました。(^ ^)