2021年10月27日、オリックス・バファローズが25年ぶりに優勝した。
やったーーーーーー!!
おめでとうオリックス!!
ありがとうオリックス!!
僕は2020年の開幕直後、こんな記事を書いていた。
弱いオリックスにストレスを感じる自分がイヤで、しばらくファンを辞めるという内容だ。
しかし、こんな記事を書いて決意表明したにも関わらず、僕はオリックスを応援し続けていた。
史上初の6連戦6連敗で絶望しようとも、2年連続最下位になろうとも、どうしてもオリックスのことが気になって仕方なかった。
どんなに負けていてもどんなにもう観ないと誓っても、翌日の試合になれば観てしまう。
それがファンの性だろう。僕に抗う術はなかった。
そして今年。何やら風向きが変わった。
開幕直後は「また今年もダメか…」と思っていたが、交流戦優勝を皮切りに、チームは7年ぶりの首位に立ち、あれよあれよと言う間に優勝してしまった。
優勝が決まるまでの数日間・数週間は気が気じゃなかった。
期待させるだけさせといて結局最後には裏切られるのではないか。
肝心なところで失速するのではないか。
そんなネガティブな気持ちが先行した。
しかしそんな気持ちとは裏腹に、オリックスは度重なる逆境にもめげず見事優勝してくれた。
去年の抑えディクソンが退団しても、4番候補のロメロが退団しても、Wエースの山岡が離脱しても、2年連続首位打者の正尚が離脱しても、代打の神様ジョーンズが一時帰国しても、オリックスはめげなかった。
嗚呼、なんて強いチームになったんだ…
これは夢じゃないのか。本当に現実なのか。
数年前から応援し始めたばかりの僕には、贔屓のチームが優勝するなんてことは経験したことがない。
こんな時、どんな顔をすればいいかわからない。
歓喜に溢れて胴上げする選手たちを観ながら僕は感極まっていたが、不思議と涙は出て来なかった。
「あんなに応援していたオリックスが優勝したのになぜ涙が出てこないんだろう…?」
この時覚えた違和感は、まだ優勝を実感できていないからだろうと考えることで払拭した。
しかし一夜明けても一日経っても、感動の涙が流れることはなかった。
「おかしい…おかしいぞ…??」
この違和感の正体に僕は気づき始めた。
オリックスが優勝した感動よりも僕の心を占拠する感情、それは『虚無感』だ。
「燃え尽き症候群」という言葉があるが、それともまた違う。
なぜなら僕はただオリックスを応援していただけで、自分自身が全力で何かに取り組んでいたわけではないからだ。
この事実に気づいた時、僕はゾっとした。
オリックスの優勝は、僕の出来事ではない。どこまでいっても「他人事」でしかないのだ。
そういえばこの虚無感、最近どこかで感じたことがあるなと思い出したのが「シン・エヴァンゲリヲン劇場版」だ。
「エヴァの完結が観たい!」と望んでいたハズなのに、いざ完結してしまうとポッカリと心に穴が開いてしまったあの感覚と、「オリックスの優勝が見たい!」と願っていたハズなのにいざ優勝してしまうとポッカリと心に穴が開いた状態の今の僕。
自分がもしチームの一員だったり制作スタッフの一員だったなら、また違った感情が湧いていたのだろうか。
しかし僕は当事者ではなく傍観者に過ぎない。
そこに虚しさが生まれるのはある意味当然なのかもしれない。
そんな…
オリックスの優勝が虚しさを生み出していたなんて…
…と今朝まで凹んでいた僕だが、いつまでもウジウジしてはいられない!
今回のことで分かったことがある。
それは「自分が」行動することの大切さだ。
「オリックスの選手はあんなに頑張ってるのに僕ときたら…」
と無意識のうちに考えてしまっているのだ。
ならばやるべきことはただ一つ。「自分が」行動する。
エヴァみたいな作品が作れなくても、プロ野球選手になって優勝できなくてもいい。
自分でやり切ったと言えるだけのことをする。それだけだ。
この記事を書いているのもその行動の一つ。
オリックスの優勝を見て虚しさを感じている場合ではない。
「選手があんなに頑張っているんだから自分も!」
と自分を奮い立たせなくては。
逃げちゃダメだ。
オリックスは12球団のうち最も優勝から遠ざかっていた球団だ。実に25年ぶり。
そういえばエヴァのTVアニメが終了したのも今から25年前。
これは偶然だろうか。
一つだけ確かなことは、僕はこれからもオリックスを応援し続けるということだ。
クライマックスシリーズ・日本シリーズとまだまだこれからも戦いは続く。
がんばれオリックス。
目指せ日本一。